『一度きりの大泉の話』の感想 〜扉は二度とひらかない〜

一度きりの大泉の話 読書

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2021年4月に出版された萩尾望都『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)¥1800(税抜)

帯に「70年代回想録」とあるように初めて、竹宮恵子と共同生活を送った大泉時代について語っています。

1970〜72年の2年間。

東京都練馬区大泉で暮らした時期について萩尾望都は何も話してきませんでした。

「これは私の出会った方との交友が失われた、人間関係失敗談です。」(前書き そもそものきっかけ)

竹宮恵子が自伝『少年の名はジルベール』を出版したことから書かざるを得なかった本作。

人間関係の難しさについて考えさせられる一冊です。

竹宮恵子『少年の名はジルベール』を未読の方は先に手にされることをおすすめします。

竹宮恵子『少年の名はジルベール』『扉はひらく いくたびも』の感想

『一度きりの大泉の話』萩尾望都の青春と苦悩

 読後、最初に思ったのは次のようなこと。

傷を負った人間は何度も苦しめられてしまう、ということ。

日本人は昔から「不和」や「緊張関係」を極端に嫌います。

ですから、仲たがいした人たちに「許せ」「仲直りしろ」「水に流せ」と繰り返す。

言われるたびに当事者がとまどい、絶望することに考え及びません。

本当は思い出したくなかった、書きたくなかった―。

そんな思いが行間から痛いほどに伝わってきました。

 二階建て半長屋での竹宮恵子と萩尾望都の同居生活。

ひんぱんに出入りする友人の増山法恵。

増山法恵は東京生まれの東京育ち。

もとは萩尾望都の文通仲間でした。

形を変える3人の関係。

昔から「3人いれば派閥ができる」と言われています。

人間はすぐに徒党を組みたがる生き物。

この法則に例外はなく、竹宮・増山コンビと萩尾望都という図式が出来上がります。

趣味が似ていて意気投合した竹宮・増山。(敬称略)

ふたりの趣味がよく分からない、マイペースな萩尾望都。

『少年の名はジルベール』で、竹宮恵子は自分の嫉妬と焦燥からルームシェアを解消したと告白。

その後、萩尾望都に「距離を置きたい」と申し出たと書いていました。

萩尾望都側の記憶は違います。

ある夜、突然 竹宮・増山のふたりに呼び出され「小鳥の巣」(『ポーの一族』の一編)について盗作じゃないかと言われた。

後日、そのことは忘れてほしいと言われ改めて絶縁状をもらった、と。

*「小鳥の巣」は3巻に収録されています。エドガーとアランがドイツ寄宿舎に入る話です。

その絶縁状には家に来てもらっては困る、書棚もスケッチブックも見てほしくないと書かれていたとか。

大好きな人だったのに、知らないうちに嫌われることをしたのかもしれない―。

萩尾望都は自分を責め続けます。

食事がのどを通らなくなり、貧血で入院。

全身をおおう蕁麻疹。

心因性の視覚障害まで出てしまったそう。

そして、今まで50年間 沈黙を守り、竹宮・増山とは近づかないように暮らしてきたそうです。

接触を避けるため、引き受けたかった仕事を断ったのこともあったとか。

本当に苦しい、青春時代の記憶です。

何十年も前から「少女漫画界の女神」と言われ、創作家の憧れだった萩尾望都。

まさか、こんなに自己肯定感の低い方だとは思いませんでした。

 竹宮恵子の自伝を読んだマスコミ・出版界は色めき立ちました。

少女漫画界の大家ふたりを仲直りさせたい―。

対談させたい、出来たら「大泉サロン」をドラマ化したい、そんな話が萩尾望都のところにしつこく来るようになったのだとか。

こうした企画に竹宮恵子先生は(萩尾さんさえ承知すれば)ご自分はいい、とおっしゃるのだとか。

あの…そんなことを言ったら商魂たくましい出版界・テレビ業界が萩尾望都を追いかけまわしますよね?

いや、もう、放っておいてあげてください。

身体にまで及んだストレスは深刻です。

体は記憶力がいい。

一度起こった症状はストレスが加われば何度でも繰り返します。

年頃の女性2人の間に起きた軋轢(あつれき)。

いくら仲が良くても同じ家で寝食を共にいろいろと不都合は出てきます。

それが、創作活動に携わる個性的な人たちならなおさらです。

生活を共にすることの困難だけであれば、どちらにも言い分があるのでしょう。

私は萩尾望都のファンですが、その点は「一つ屋根の下で暮らすのは姉妹でもうまく行かないことがあるしな」と思います。

ちょろ
ちょろ

作家・漫画家同士の同居は夫婦でさえうまく行かないことが多いです。

ただ、竹宮恵子先生の言動で「これはちょっと…」と思う点があります。

「大泉サロン」が解消したのは〇〇と〇〇のせい、など他人のせいにしては駄目だった。

(名前を出された人が勝気だったため発信源を特定。竹宮恵子先生を直撃してしまう惨事に。)

実力も矜持もあるプロの漫画家に対して、「盗作」呼ばわりしては駄目だった。

(忘れてくれと言われても、忘れられないことはあります。「忘れて」で済むなら名誉棄損罪も誣告罪もいらない。)

『トーマの心臓』連載時にまた「盗作」という噂を流しては駄目だった。

(まだ描かれていない漫画の「盗作」。竹宮恵子先生の周辺でしか起こせない噂では。)

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(萩尾望都の初期作品を今読み返すと、ヘッセやラディゲの影響を色濃く感じます。

『11月のギムナジウム』はレイモン・ラディゲ『肉体の悪魔』のあの子が〇〇で成長したら…という

「if」の物語として読めますね。)

そして何よりも自分から距離を置いた相手に近づこうとしては駄目だった。

人間は年を取ると身の回りをきれいにしたいという欲求が出てきます。

いわゆる「終活」です。

傷つけた相手に謝りたい、心の重荷をおろしたい、そんな気持ちが出てくるのでしょう。

ですが、それは完全に自分の都合です。

竹宮恵子先生も口をつぐんでいるべきだったのではないでしょうか。

 読み進めるのがとてもつらい本でした。

ですが、光もあります。

無言の萩尾望都に、なにがあったかうすうす察した木原敏江はやさしかった。

山岸凉子は大人だった。

佐藤史生は思慮深かった。

萩尾望都の絵柄の変化で異変に気が付いた同業者もいた。

支えてくれる人たちがいて、本当によかった、と涙が出ました。

一度閉じたら、二度とひらかない人間関係の扉。

ひりひりした悲哀を感じる本でした。

これを読むと、「花の24年組」「大泉サロン」という言葉は今後、使用をためらいますね。

当の萩尾望都がこの言葉を拒否していますから。

上記2冊を読むと竹宮恵子、萩尾望都の作家性の違いが顕著で興味深いです。

おそらくは年表を作り、整理し、理知的に時代の流れの中で自分を語る竹宮恵子。

直感的な萩尾望都。

この本の出版に当たり友人に頼んでインタビュー形式にしてもらったということを差し引いても、そういう印象を持ちました。

おふたりの違いについては巻末の城章子さんの文章が興味深いです。

アシスタントへの指示の出し方がこんなに違う、という例を出されています。

具体的に、わかりやすい指示を出す竹宮恵子と言葉が足りない萩尾望都―。

うん、慣れない人間が一緒に仕事をするのであれば断然、竹宮恵子先生がいいですね。

優れたプレイヤーが優れた指導者になるとは限らない、とよく言われますが、それを地で行くのが萩尾望都です。

城章子さんは長年、萩尾望都を支えている方ですが、冷静で公平ですね。

読むのに苦痛を伴う本ですが、ファンなら必読の書だと思います。

主要な作品について、語っている部分があるからです。

『11月のギムナジウム』、「小鳥の巣」、『トーマの心臓』など、「少年愛」として描いていないというのは納得。

思春期の同性が閉鎖的な空間に集まれば、起こりうる事象として描いているんでしょうね。

日本の文豪も学生時代の思い出などでよく言及しています。

学校や寮生活において後輩の少年と先輩の疑似恋愛のようなものがあった―、と。

森鴎外、谷崎潤一郎、芥川龍之介、川端康成など。

中にはあんな女好きが、と驚くことも。

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萩尾望都は設定にリアリティを持たせるために描いているんですね。

痛ましいほど自己卑下の多い本文中に、垣間見られる炎のような実作者・漫画家としての誇り。

さすが、と思いましたね。

300ページを超える分厚い本ですが、中には「ハワードさんの新聞広告」が再掲載されています。

懐かしい漫画ですね。

昔読んだときに原作者の方を知らなくて誰だろう?と思っていました。

ご友人だったのですね。

このあたりのエピソードは心があたたまります。

佐藤史生のセリフが好きですね。

もず
もず

萩尾望都が原作付きの漫画を描くとき、オリジナルをとても大切に扱っていることがわかります。

 『一度きりの大泉の話』のレビューを読んでいて気になることがあります。

「盗作」呼ばわりを軽く考える人が多すぎるんですね。

盗作、その字の通り「窃盗」「泥棒」。

創作家にとっては「魂」の問題です。

親しいと思っていた人からそのようなことを言われたら、ショックで倒れて当然だと思いますね。

(もちろん、言い回しなどは竹宮先生・萩尾先生の記憶で違いがあるかもしれませんが…)

「小鳥の巣」も『トーマの心臓』も『風と木の詩』とは全く違う作品なのでなおさら。

「絶縁状」よりこちらの方が根の深い問題だと感じました。

願わくば、萩尾先生が静かに暮らせますように。

創作活動に集中なさって、おもしろい作品をたくさん発表して下さいますように。

最後に、福岡人として言いたいこと

 最後に、福岡の人間として他県の方に知っておいていただきたいことを書いて終わろうと思います。

『一度きりの大泉の話』の中に次のような箇所があります。

竹宮恵子に『小鳥の巣』について「どうして川のそばに学校がある設定にしたか訊かれて心のなかで思ったというところ。

(私が福岡市のデザイン学校に通っている時、中洲の橋をよく渡っていたから。中州に家があるという環境に憧れがあったから。)

萩尾望都『一度きりの大泉の話』 148ページ

この部分、福岡人にはよく理解できます。

中州は歓楽街のイメージが強いのですが、昼と夜とでふたつの貌を持つ街。

昼は映画とショッピングの街、夜は飲食店やお酒を提供するお店がにぎわいます。

西中州・東中州に分かれて文化的に違いがあり、二面性のある面白い場所です。

福岡市赤煉瓦文化館という明治時代の洋館が建っていますし、水鏡天満宮がある観光にも適した地域なのです。

福岡赤煉瓦文化館

東と西、昼と夜、聖と俗の二極が入り混じった空間なんですね。

想像力豊かな萩尾望都が物語を紡いでも不思議はない場所。

そして、福岡は日本の歴史が始まって以来、貿易で栄えた地域です。

海外との交流はさかんですし、ミッション系の学校が多いんです。

黒田如水はキリシタン大名ですしね。

そんな関係で管理人は小学校から高校まで、ドイツ人やイギリス人の血縁をもつクラスメイトと何人も知り合いになりました。

海外から転校生が来て事件が起こる…という設定に無理を感じないんです。

そんな事情を知らない人から「盗作」よばわりされて、どれだけ哀しかっただろう―。

同郷の人間として心が痛みます。

せめて、なにかのご縁でこのブログに来てくださった方にはご理解いただけたら…と思っています。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

その他、漫画に関する記事です。

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