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『風と木の詩』『地球(テラ)へ』で知られる漫画家 竹宮恵子。
少女漫画界の大御所です。
2016年に出版された自伝『少年の名はジルベール』。(小学館)
読売新聞「時代の証言者」に掲載されていたインタビューをまとめた『扉はひらく いくたびも 時代の証言者』。(中央公論新社)
この2冊を読んだので感想を書きたいと思います。
『少年の名はジルベール』1970年春から始まる半生記
竹宮恵子は非常に頭のいい人です。
なにも彼女が国立大に在籍していたから言っているのではありません。
読者の興味を惹きつける題材の選定、描き方。
言葉の遣い方。
自己プロデュース能力がとても高いことがわかります。
この印象はくしくも、竹宮恵子のプロデューサーとなる増山法恵が『COM』に掲載された「カギっ子集団」を読んで「作品が計算高い」と言ったのと似ています。
『少年の名はジルベール』は「缶詰旅館」という章から始まります。
1970年、春。
竹宮恵子 20歳。
徳島大学を中退後、漫画の仕事をいくつも引き受けていたところ、キャパオーバー。
3つの雑誌で連載を抱え、立ち行かなくなってしまいます。
地元で仕事をしていたのですが、急遽 東京に呼び出されます。
各誌担当者らが話し合って優先順位を決めると後は「缶詰」。
編集者が原稿を仕上げさせるべく、漫画家を監視下に置き旅館やホテルの一室に閉じ込めるという業界の慣習です。
一人で黙々と作業を続ける日々。
そんな中、「その後の人生を変える運命の人に出会うことになる」。
それが当時、新人だった萩尾望都です。
竹宮恵子は萩尾望都に仕事を手伝ってもらいながら、いろいろな話をしたそう。
漫画表現のこと、画材のこと、地方出身者の苦労など。
それがとても楽しく刺激的で、のちに一緒に暮らそうと提案する土台になったのだとか。
当時、完全に男性社会だった出版業界。
心の支えは石ノ森章太郎先生の仕事場に行くことだけ。
同性の同業者、友人とのつながりが欲しかったそうです。
同年代の地方出身者でふたりとも西日本の人間。
ちょっとした仲間意識が芽生えても不思議はありません。
竹宮恵子と萩尾望都は共同生活を営むこととなります。
要所要所に「よど号ハイジャック」「学生運動」「三島由紀夫自決」「魔女ブーム」「バブル」など時代を象徴する言葉が挟まれます。
その時に流行っていた、人気のあった漫画や漫画家たち。
ある程度の年齢であれば、当時を思い起こすことができます。
「漫画」という切り口で見たもう一つの「昭和史」。
さほど漫画に興味がない人が読んでも楽しめる工夫がなされていますね。
竹宮恵子と萩尾望都はともに映像記憶を持っているそうですが、この本はしっかり年表を作成して資料を集めて書かれたと思いますね。
(映像記憶は創作家に多く見られます。例;谷崎潤一郎、三島由紀夫、山下清、東村アキコなど)
14歳で漫画家を志した竹宮恵子を支えたのは石ノ森章太郎の『マンガ家入門』だったとか。
松苗あけみと同じで驚きました。
名著なんですね。
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現在でも販売されています。
坂田靖子、花郁悠紀子、ささやななえこ、佐藤史生が集い熱く漫画を語った「大泉サロン」時代。
好きな作品が発表できないことへの焦り。
萩尾望都に対する嫉妬からスランプに陥った日々。
回復して『ファラオの墓』を描き、読者アンケートで2位を獲得。
念願の『風と木の詩』連載、小学館漫画賞受賞、大学で教鞭をとるまでを感動的にまとめてあります。
少女漫画の革命を目指した若かりし日。
悪戦苦闘の連続―。
周囲の無理解、
共に戦う友人、
先を行くライバル…。
日本人が好きなものがこれでもか、と入っていますね。
これだけを読んでいたら、
萩尾望都に竹宮先生はいい人だから仲直りするように、なんてアドバイスする人が出てくるのが分かる気がしました。
ご自分の人生を再構築する力、見せ方を心得ているお人だな、という印象を持ちました。
「革命」「総括」などの言葉を多用するところ、選良意識の高さ、派閥を作るところなど
学生運動の影響が色濃く残っていて個人的には興味深かったです。
『扉はひらく いくたびも』ご両親・幼少時代のこと 漫画界のこれから
読売新聞に掲載された記事をまとめた『扉はひらく いくたびも』(中央公論新社)は続編というよりは同一テーマの別の本です。
『少年の名はジルベール』は20歳から始まっていますが、こちらはご両親やおばあ様についての詳しい言及があります。
子供時代の写真もあります。
なんと、御父上は陸軍中野学校出身!!
おばあ様は元芸妓。
もう、ここを読んだだけでご家族の話だけしてもらいたいと思ってしまいますね。
お父様とおばあ様のお話だけでそれぞれ本が何冊も書けるはず。
「大泉サロン」についての言及はありますが、重きを置かれているのはべつ。
『風と木の詩』以後の作品、読者と作者の関係、雑誌の在り方…。
著作権や表現の規制、大学で何を教えるかといったところです。
ご自分と社会とのかかわり、そこに重点が置かれています。
読売新聞という媒体に合わせて、広く老若男女の興味を引きそうな話題を選べるのが竹宮恵子。
本当に頭がいいです。
後半、大学で(選挙活動をしていないのに)学長に選ばれる、エルメスの社史を手掛ける、古典に着手する、社会的な問題に取り組むなど華々しさにちょっとめまいがしました。
ただ、わたしくらいの年齢になると「光が大きければ大きいほど、影も大きくなる」と知っています。
本を読んでいて集中できず、思いが飛んでしまうところがありました。
寺山修司との交流を嬉々として書いている部分。
竹宮恵子は知らなかったのでしょう。
その裏で、萩尾望都が寺山修司との仕事をあきらめていたこと。
竹宮・増山(敬称略)コンビが好きなもののそばには近寄らないようにしていたこと。
『一度きりの大泉の話』を読んだ後なので、著者がテンション高く書いている部分に乗れないんです。
ですが、この本は読んでよかったと思っています。
萩尾望都は竹宮恵子の漫画はおろか、自伝をいっさい読んでいないそうです。
マネージャーの元漫画家 城章子さんが目を通しているそう。
城章子さんは確実にこの『扉はひらく いくたびも』も読んでいます。
竹宮恵子が使った言葉をそのまま『一度きりの大泉の話』で使っているんですね。
「マネージャー 城章子はこう申しておりました。『覆水盆に返らず』含蓄のある言葉ですね。」
『一度きりの大泉の話』後書き(静かに暮らすために)333ページ
本書で竹宮恵子が『風と木の詩』のセリフにいかに気を遣ったかという部分にこのことわざが出てきます。
「緊張したのは言葉ですね。『覆水盆に返らず』と言いますが、下手なセリフを主人公に吐かせると、後で悔やむことになります。そういうことをいろいろ考えながら、張り詰めた気持ちで描いていました。」
『扉はひらくいくたびも』5.風と木の詩、地球へ… 27/82ページ
まるで城章子さんが竹宮先生に「実生活でもご自分のセリフにも気を遣ってほしかったです」とおっしゃっているような気がした箇所でした。
ま と め
読み物としては『少年の名はジルベール』、『扉はひらく いくたびも』はよくできていると思います。
昭和の少女漫画史の一面が描かれていますし、1970〜1980年くらいの日本について空気感が伝わってきます。
当時を知る人の資料という価値はあると思います。
ですが、どうしても考えずにはいられません。
どうして萩尾望都の名前をこれほど出さなければならなかったのだろう?
萩尾望都が竹宮恵子の名前をほとんど出さずに仕事をしていることを考えると不思議でなりません。
(『少年の名はジルベール』解説でサンキュータツオさんが書いているように萩尾望都『私の少女漫画講義』(新潮社)で竹宮恵子の名前が出てくるのは1度だけ。)
読んでも読んでも答えは得られず、首をひねるばかり。
2冊の本で萩尾望都の名前が出てくる回数を挙げておきます。
『少年の名はジルベール』131回
『扉はひらく いくたびも』 69回 です。
竹宮恵子先生の経歴と文章力を考えると、萩尾望都の名前は1、2度出す程度で本が作れたのでは?
と、つい思ってしまいました。
ご本人は、持ち前のサービス精神で「読者を惹きつける」自伝を書いたつもりだったのかもしれません。
ですが、波紋が及ぶ人のことも、少し考えていただきたかったです。
萩尾望都『一度きりの大泉の話』に、竹宮恵子先生の自伝について企画段階の話が出てきます。
2014年、竹宮恵子先生が自伝を出版されるので対談してほしい、と出版社から萩尾望都側に依頼が来たそうです。
萩尾先生のマネージャー 城章子さんが「お付き合いがないので」ていねいに断り、「仮にその本に萩尾が登場するとしても数行にまとめてほしい」とお返事したとか。
(『一度きりの大泉の話』河出書房新社 2021年4月)
どうして、この希望がかなえられなかったのでしょうか?
出版社は竹宮恵子先生に伝えなかったのでしょうか?
本としてはとても上質だと思いますが、疑問が残りました。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
参考にしていただけるとうれしいです。