【このブログではアフィリエイト広告を利用しています】
2021年11月10日に出版された萩尾望都『ポーの一族 秘密の花園』第2巻。
2017年、『ポーの一族 春の夢』が40年ぶりに刊行されてから、断続的に発表されているシリーズ新作。
今回はその感想を書きたいと思います。
『ポーの一族 秘密の花園』あらすじ
『ポーの一族 秘密の花園』の舞台となるのは1888年から1889年のイギリス。
イングランドの中部 ソア川が流れるところです。
日が落ちてレスターに向かう途中、ソア川に落ちてしまったエドガーとアラン。
近くの屋敷に助けを求めます。
そのお屋敷こそ、アーサー・トマス・クエントン卿の邸宅だったのです。
![ちょろ](https://www.bull-headed-shrike-gecko.com/wp-content/uploads/2023/02/tyoro-hutoji-1.jpg)
文庫版『ポーの一族』第3巻「ランプトンは語る」に出てくる画家ですね。
クエントン卿は世間から「変人」「鬼」とみなされている人物。
幼少期の事故によって左耳が欠落。
左顎にも大きな裂傷があるため、髪を長く伸ばしています。
必要最低限の召使を置いていて世捨て人のような暮らしぶり。
画家なのですが、画商はときどき訪ねてくるだけ。
エドガーとアランは一夜の宿を借りれば、翌日には出発するつもりでした。
ですが、翌朝、エドガーが目を覚ますと屋敷は大騒ぎ。
召使の一人が、眠っているアランを「死んでいる」と勘違いしてしまったのです。
![もず](https://www.bull-headed-shrike-gecko.com/wp-content/uploads/2022/03/224844-1.jpg)
バンパネラは脈がなく、体温が低いためですね。
タイミング悪く、アランは「眠りの時期」に突入。
バンパネラは長ければ1年以上眠ることがあるのですが、旅行中にその時期が来てしまったのです。
ポーの村とは違い、周囲は人間だらけ。
安心してアランを眠らせる場所が欲しい―。
エドガーは自分に絵のモデルになってほしいと頼むクエントン卿に交換条件を持ちかけます。
アランは「眠り病」を患っている―。
召使たちに邪魔されない、静かな場所で彼を眠らせてほしい―。
エドガーを訪ねてきたポーの一族、シルバーとの会話から、エドガーのことを遺産をめぐる争いに巻き込まれた少年だと思い込んだクエントン卿。
エドガーとアランを不思議だと思いつつ、「エルフ」のようだと好意的に解釈。
エドガーとアランを助ける約束をするのでした。
かくして、エドガーはクエントン卿の「ランプトン」として絵のモデルを引き受けることとなったのです。
*ランプトン…18世紀の画家トーマス・ロレンスが描いた肖像画「ランプトンの肖像」による。
![ちょろ](https://www.bull-headed-shrike-gecko.com/wp-content/uploads/2023/02/tyoro-hutoji-1.jpg)
クエントン卿の家には曾祖母が描かせた「ランプトンの肖像」の模写があったんです。
エドガーはモデルを引き受けますが、クエントン卿の邸宅には思いがけず、様々な来客があって…
エドガーとアランの過去、クエントン卿の過去が絡み合い、事態は意外な結末へと進みます。
『ポーの一族 秘密の花園』の感想 わき役たちの人生
『ポーの一族』にクエントン卿が登場する「ランプトンは語る」が世に出たのは1975年5月。
なんと!46年前なんです。
萩尾望都は当時26歳。
クエントン卿が描いたエドガーの絵はのちのち、物語で大きな意味を持ちます。
ですが、描いた画家はというと初出時は1ページだけ。
しかも、彼の人生はすべてセリフの中で語られています。
クエントン卿はその後、『エディス』にも数コマ登場していますね。
今回、『ポーの一族』を読み返してみたのですが少女漫画なので若い人々の「恋」や「愛」にまつわる話が多いですね。
萩尾望都は昔から絵に定評があって、中年〜年配の男女を違和感なく描いているのですが、中心となるのはやはりティーンエイジャー。
たとえば、エドガーがバンパネラになって初めて手にかけたのは長い黒髪の少女。
いつも家の前を通るエドガーにあこがれていた描写がありました。
『秘密の花園』を読んで、最初に思ったのは
エドガーの犠牲者がみな高齢者!
登場人物の平均年が高めです。
作者が年を経て、「老い」「人生の後悔」を如実に描けるようになったことが影響しているのでしょう。
そして、感じるのはわき役たちに対するやさしいまなざし。
クエントン卿の過去、遠縁の美少女パトリシアとの苦い初恋、両親との軋轢(あつれき)。
また、エドガーをモデルにして絵を描きたがる理由―。
今は亡き幼馴染の少年ドミニクに対する贖罪(しょくざい)の念。
若かりし日、さらっと1ページ足らずで済ませたクエントン卿について、萩尾望都はいつからこんな背景を考えていたのでしょうか。
わき役にも人生がある―。
どんな人にも両親がいて、幼い頃があって、夢や希望、絶望がある―。
『秘密の花園』全編を通して、作者のそんな気持ちが感じられます。
萩尾望都の「視線」はクエントン卿の下男マルコやドミニクの母親にまで及びます。
![ちょろ](https://www.bull-headed-shrike-gecko.com/wp-content/uploads/2023/02/tyoro-hutoji-1.jpg)
ドミニクの母親は他人の人生に大きな影響を与えても自己正当化してしまう。人間の豪を感じます。
人間が10人いれば、10の正義がある―。
どれが正しい、正しくないと判断することはできない―。
清濁併せ呑む(せいだくあわせのむ)大人の視線。
そんな「諦念」すら感じました。
終盤、エドガーはクエントン卿を仲間に加えます。
作中、エドガーは自分たちに都合がよいから、とクエントン卿に後見人の役目を引き受けてくれるように頼みます。
が、クエントン卿がおかれていた状況を考えると「救済」ともとれる申し出。
卿は自らの意思で一族の仲間に加わります。
バーネットの『秘密の花園』は少女が伯父の家の花園を復活させ、自身は成長を手に入れます。
クエントン卿は父親・腹違いの妹と精神的に和解し、ラストではバラのアーチを復元します。
『ポーの一族 秘密の花園』は萩尾望都が現在の年齢になったからこそ描けた円熟味のある作品だと思いました。
![ちょろ](https://www.bull-headed-shrike-gecko.com/wp-content/uploads/2023/02/tyoro-hutoji-1.jpg)
70年代に描かれた軽やかなタッチや詩情はないですが、円熟味のある作品。ファンなら楽しめると思います。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
少しでも参考にしていただけるとうれしいです。
よろしかったらこちらもどうぞ。